甲田光雄氏の名前が有名になったのは、森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者の治療に好成績を上げたニュースからである。森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に起こった大きな食品公害の一つである。当時、森永粉乳を飲んだ人工栄養児らが多数発病し、厚生省の発表によると、患者数は1万1000余名にも達し、そのうち130名が亡くなっている。しかし、的確な治療がなく、その後14年たって当時の大阪大学の衛生学教授・丸山博先生が「十四年目の訪問」と名づけられた実態調査を行ったり、15年後の1970年(昭和45年)の裁判中に森永側が原因をミルク中のヒ素化合物と認めたりしたが、被害児を救う決定的な治療法を見出せないまま年を重ねていた。
「患者は、現在も脳性麻痺・知的発達障碍・てんかん・脳波異常・精神疾患等の重複障害に苦しみ、手足の動かない身体をかがめ、皿に注がれたお茶を舐めるように飲むなどの日常を強いられている。また、就職差別や結婚差別を受けたり施設に封じ込められたりした被害者や、ミルクを飲ませた自責の念で今もなお精神的に苦しんでいる被害者の親らも多いといわれている」(ウィキペディアより引用)
昭和47年、甲田氏は大阪大学の衛生学に席を置いており、丸山教授からある時、
「甲田君のところでやっている断食療法で森永ヒ素ミルク中毒の被害児たちを救うことができるかね」と尋ねら れ、
「そうですね、やってみないとわかりませんが、いろいろな症状の改善には確かに役立つと思います」
「よし、それなら一つやってみてくれるか」
このような経過で、被害児たちが甲田医院へ入院した。24名(男子12名、女子12名)の若い青年男女。
これらの被害児たちには多少の差があったが、だいたい次のような症状が出ており、それがいつまでもずっと続いていた。その症状の主なものは、皮膚の色素沈着、皮疹、膿痂疹、頑固な下痢、食欲不振、全身倦怠等々で、中には発熱や嘔吐などで悩んでいるものもいた。
血液検査などでは、貧血、白血球減少、肝腫大などが一般的に認められた。
そこで、これらの被害児たちに甲田医院で行っている西式健康法との併用で断食療法を行った。24名全員が平板の上に寝て半円形の硬い木枕を使い、金魚運動や毛管運動などを日課としてつくり、それにしたがって実行しながら断食に入ってゆくわけである。また温冷浴や裸療法なども、みんな熱心に実行し、その結果、当初丸山教授が期待されていた以上の好成績が上がった。丸山教授はそれらの経過をまとめてレポートをつくり、学会へ発表するようにとすすめ、そうして出来上がったが、甲田の論文第一号「森永『ヒ素ミルク』中毒被害児の健康対策」(第一報)だった。
これは日本衛生学会で発表したものだが、その反響はものすごく、新聞、ラジオ、テレビなどで大きなニュースになり、アメリカでも問題になったほどであった。
「患者は、現在も脳性麻痺・知的発達障碍・てんかん・脳波異常・精神疾患等の重複障害に苦しみ、手足の動かない身体をかがめ、皿に注がれたお茶を舐めるように飲むなどの日常を強いられている。また、就職差別や結婚差別を受けたり施設に封じ込められたりした被害者や、ミルクを飲ませた自責の念で今もなお精神的に苦しんでいる被害者の親らも多いといわれている」(ウィキペディアより引用)
昭和47年、甲田氏は大阪大学の衛生学に席を置いており、丸山教授からある時、
「甲田君のところでやっている断食療法で森永ヒ素ミルク中毒の被害児たちを救うことができるかね」と尋ねら れ、
「そうですね、やってみないとわかりませんが、いろいろな症状の改善には確かに役立つと思います」
「よし、それなら一つやってみてくれるか」
このような経過で、被害児たちが甲田医院へ入院した。24名(男子12名、女子12名)の若い青年男女。
これらの被害児たちには多少の差があったが、だいたい次のような症状が出ており、それがいつまでもずっと続いていた。その症状の主なものは、皮膚の色素沈着、皮疹、膿痂疹、頑固な下痢、食欲不振、全身倦怠等々で、中には発熱や嘔吐などで悩んでいるものもいた。
血液検査などでは、貧血、白血球減少、肝腫大などが一般的に認められた。
そこで、これらの被害児たちに甲田医院で行っている西式健康法との併用で断食療法を行った。24名全員が平板の上に寝て半円形の硬い木枕を使い、金魚運動や毛管運動などを日課としてつくり、それにしたがって実行しながら断食に入ってゆくわけである。また温冷浴や裸療法なども、みんな熱心に実行し、その結果、当初丸山教授が期待されていた以上の好成績が上がった。丸山教授はそれらの経過をまとめてレポートをつくり、学会へ発表するようにとすすめ、そうして出来上がったが、甲田の論文第一号「森永『ヒ素ミルク』中毒被害児の健康対策」(第一報)だった。
これは日本衛生学会で発表したものだが、その反響はものすごく、新聞、ラジオ、テレビなどで大きなニュースになり、アメリカでも問題になったほどであった。