続・大日本仁志會

西勝造 が創始した西式(西学)を紹介する、正統西式のブログです。

2011年01月

椿山荘フォーシーズンズにて昼食

先日、招待されて目白へ遠征した。白山神社へ参拝した後、椿山荘フォーシーズンズにて昼食。
メインダイニングのイタリア料理「イル・テアトロ」の『フォアグラ、キャビア、トリュフの贅沢ランチ』(5000円、サービス料別)を頂く。
至高の食材、“世界三大珍味”と呼ばれるキャビア、フォアグラ、トリュフが一度に味わえるシェフ渾身のプレミアムコースとのことだが、確かにシェフの腕前が判る料理だった。
エグゼクティブ・シェフの名はレオナルド・ディ・クレメンテ、覚えておこう。イタリア人で2003年に若干26歳でロンドンのフォーシーズンズホテル カナリーワーフのメインダイニング「Quadrato Restaurant」のシニア・スー・シェフに抜擢され、2006年10月よりフォーシーズンズホテル椿山荘 東京のエグゼクティブ・シェフに就任しているとのこと。

【前菜】ズワイ蟹と滑らかに仕上げたカリフラワーのパンナコッタ キャビアと共に
【パスタ】自家製スパゲッティ マッシュルームのカルボナーラソース トリュフの香
【メイン】牛フィレ肉とフォアグラのソテー ロッシーニ風 季節野菜のグラッセ添え 黒トリュフのソース
【デザート】デザートワゴンより、お好みのデザート
コーヒー、 紅茶 又は エスプレッソ

メニューに載っていないが、スティック生野菜が前菜の前に出る。これがまた美味い。いい野菜を使っている。
そして何より美味かったのがトリュフだった。全体的な感想は、日ごろ粗食の胃が驚いてしまい、コメントが出ない(笑)。また行きたい店だ。

食後は有名な庭を散歩。

私が某氏の手相を観たことから始まった、まったく新しい人脈。これも手相の効用の一つだろう。振り返って考えてみれば、人間関係の下手な私がサラリーマンの世界でなんとかやっていけたのは手相ができたことが大きい。直属ではなくその上の上司に目をかけられるというパターンが多く、多難ではあったが。
本社の部長が来た時、支配人室に呼ばれ、「手相を観ろ」といわれたこともあった。
鑑定の結果を部長は感心しても、こんなことは出世の阻害要因ともなる。サラリーマンの道を選んだのであれば手相の技など隠して仕事の成果で、まず出世することが何よりも大切だ。白ゴマ、黒ゴマ、茶ゴマのごますりも必要。人の3倍働き権謀術策を駆使し出世することだ。それがいやならサラリーマンなど辞めればいい。

私見西式91

推理小説作家の高木彬光(あきみつ、1920年-1995年)の作品の中に「わが一校時代の犯罪」がある。初出は雑誌「宝石」に昭和26年で、主人公の妻木幸一郎が実は「直木由太郎」がモデルになっている。西式健康法に心酔し、西式とあだ名された一校生が学園の自由を守ろうとして憲兵の追及を受け、試肝会にことよせ高い時計台に登って行って、そのまま姿を消して行方不明になる。最後は遂に逃れられず自ら命を絶つというのが筋である。

「西式のことが書かれているので西先生にお知らせしようと思ったのですが、自分が殺されることになっていて名誉な話でないのでお知らせするのを躊躇していました所、西先生は御講演先の広島で会員の方からお聞きになり、大阪への車中で読んで来られたということでした。先生は西式のことが書いてあるのをお喜びになって、作者の高木彬光君に御著書「心臓」を送ってくれと仰有り、私から高木君に送ったこともありました。」

直木由太郎は高木彬光と一校時代に同級だった。「この小説を初めて雑誌で見た時、自分がモデルにされているので大変驚いたものでした」

「不変の医学」医学博士 直木由太郎 「西医学」第29巻第4号 16頁 

私見西式90

「温冷浴が発表された時、熱心な会員は、いやな事が始まったなとボヤイタ事と思う。たとえ喜んで迎えた者があっても、それは例外だろう。西先生もそこを察せられたのであろう、長い間温冷浴は七回ときめられていた。(略)戦争末期から戦後のドサクサに、温冷浴どころではなくなった。その間に、西先生が、九回から最大限は十一回までやってよいと発表された様に記憶する。先生の発表は、何事につけても、この様に漸を追って行われた。会員に急激な衝動を与えない様に、深い注意が払われていたのである。(略)やがて先生は、「自分は三十一回やっている」といって、度肝を抜かれた。続いて六十一回、更に二十五分の水浴と、矢つぎ早に発表された。」
西医学つれづれ草(5)温冷浴物語 一級司教 蛭川行茂 「西医学」第二十九巻第五号 36頁
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