続・大日本仁志會

西勝造 が創始した西式(西学)を紹介する、正統西式のブログです。

2011年08月

私見西式157

大正8年2月3日から2月7日の間に3回に亘り福岡日日新聞に掲載された西の「米国鉄道の電力化」と題する記事がある。
最終回に「附記 西工学士は最近米国より帰朝したる人にして現に松昌洋行の技師なり」と記されている。
この記事に於いて、西は石炭から電力の時代への転換を見通しながら同時にその視点は「人類の健康」に置かれている。

「蒸汽機関の使用は単に鉄道のみならず一般の工業上経済的罪悪なり、其末燃焼有用の炭素を空中に飛散し又灰中に逸失するは単に周囲を不潔にし人類の健康に大害を及ぼすのみならず燃料の濫費なり」

「紐育市の地下電気鉄道の如きも純然たる大鉄道にして年々数千万の客を乗せ且つ風雪の障害を受けざる故毎年交通に及ぼす効果計るべからず、斯くの如くなれば電気鉄道を以て決して贅沢なりとは云う事を得ず、電気機関車は一片の燃屑、燼灰及煤煙も残さずして静かに走り汚なき旧式蒸汽機関車に勝ること万々なるは云う迄もなし」

私見西式156

今の若い人は、第五福龍丸の事件を知らない。
日本の被曝は今回の福島原発人災事故により、広島、長崎、ビキニ、福島と4度にわたることになった。
昭和29年、太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験により、近くで操業中の日本の漁船数百隻が、死の灰を浴びた。
なかでも第五福龍丸は船員23名が全員ひどく被曝し、久保山無線長(当時40歳)は「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を遺して息を引き取った。
第五福龍丸は現在、新木場駅近くの「東京都立第五福龍丸展示館」で関係資料と共に展示されている。
もちろん被曝はビキニ環礁に近い島々でもおこり、数十名が死亡した。
日本国に対する米国の法的責任は不問に付され、わずかばかりの見舞金で政治決着がつけられた。
このような事件がありながら、日本政府は巧みに世論を操作し原発を造り続けた。多くの政治家や企業が甘い汁を吸い続けた結果が、われわれが直面している今後何十年、何百年にわたる被曝の問題である。

政府はセシウムについてはデータを発表するが、ストロンチウムについては故意に避けているように思われる。
上記の50年代、60年代に頻繁に行われた核実験の時、環境に最大の影響を与えたのがストロンチウム90である。
京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、半減期が長い(約29年)ストロンチウム90はかなり重要な被曝源であり、魚、海藻、貝類には多く蓄積されるので、「これから十分に魚あるいは海藻、貝類の調査をしなければいけなくなると思います」と述べると同時に、今後出される安全という情報に対しては「ただ、安全性というのは、もちろんないのです。ですから、どんな意味でも危険だという事をまずはご理解頂いて、どこまで危険を我慢出来るかという、そういう判断をして頂かなくてはいけないと思います。」(5月9日MBSラジオにて)
つまり日本人は被曝と共存するしかないということだ。そして今さら言ってもむなしいが、国のリーダーが管でなければ、被曝の程度は大きく抑えられたと思われる。

昭和32年の講演で、西は次のように語った。
「なお、最近放射能のことで大変騒いでおりますが、ストロンチウム90というのは、カルシウムをよけい摂っておられる人ほど、特にそれは人工のカルシウムであるほど接着力を持っているのであります。ストロンチウムのアイソトープは十種類ありまして(原文のママ)、83から92まであるのですが、そのうち90番というのが一番生命が長い。そこで人を殺戮(さつりく)するにはもってこいですから、各国ともこのストロンチウム90というのを使っているのです。それを防ぐには、裸療法なり、温冷浴なりをやられて、できるだけ体の中に酸素を入れるというお考えがなければなりません。それから生の野菜でも、カルシウムをよけい含んでいる野菜には、よけい放射能が吸収されますから、それをそのまま食べられるということは危険でございます。」

皆さん、宜しく。

ネット喫茶の狭いブースの中で、一気に書き上げた長文の記事が一瞬にして消えてしまった。本がEscボタンを押したようだ。茫然自失というのはこういうことか。しばらく立ち直れないので、しばらく×2の間、更新はお休みします。

sumisumiさん、ご丁寧な文章を頂き恐縮です。私は野人で礼儀も知りませんが、なにしろ西と呼び捨てにしていますし、えー(笑)、充実した内容の興味深いブログをお書きの方なので、今後意見を交換させて頂ければ嬉しく思います。

みづさん、お元気ですか。柿茶をご自分で作られているとのこと、私も作ったことがあります。今は、近くに柿の木がないので出来ないのが残念です。今後、西先生の若い頃のエピソードを書く予定なので、楽しんで頂ければと思います。

Mさん、落雷で電車が動かないって・・日頃の行いに反省すべきところはありませんか(笑)。
あれっ、ということは私も帰れないってことかな?

ー閉幕ー

言霊百神、前世占い

sumisumiという人のブログ「菜食生活 超健康!太陽のまなざしへ」を読んでいると、「マイブーム」の中に「日本語の起源-言霊百神」というのがあるのを見つけた。懐かしくて覘いてみると 「ページが見つかりません」・・・。
それで諦める私ではないので、ネットで検索するといっぱい出てきた。このように簡単に調べることが出来るとは、世の中、便利になったものだ。
「言霊百神」という本、私がまだ若い頃に愛読した一冊だ。 皇学研究所から1963年に出ているようだから昭和38年かな・・私が入手したのはもう少し後、竹内文献の研究から、関連する資料を集めていた時に手に入ったと思う。西も竹内文献に目を通していたと思われる。竹内巨麿の教導を受けていた山根キクの著書を新聞広告を見て西が取り寄せたことを息子の大助が伝えているからだ。講演では東北のイエス渡来伝説や古史古伝の「神皇紀」の内容についてふれている。「上記」については著書のなかで取り上げていたはずだ。
このあたりも「私見西式」で、そのうちに取り上げよう。
「そのうちに」が溜まっていくのが問題だが・・・。

さて、「ページが見つかりません」の@niftyのページが自動で切り替わって、サビアン占星術の「サビアン運命の予言」というサイトの案内があったので、覘いてみた。
無料で、誕生日から3つの前世と2つのオーラの鑑定が見れるのでやってみた。
猛暑の疲れが出ているので、今日は気楽にネットで遊びだ。

私の前世はなんだろうね(笑)
「あなたは古代ギリシアの学者でした。ギリシアで発見された数々の理論や定義は、あなたの研究によるものです。後世のため、学究に人生を賭けた時代の記憶は、今もあなたの魂の奥底に残っています。」
そうだったのか(笑)

「あなたはスペインでダンサーをしていました。その地方では名の知れ渡ったダンサーで、芸能や遊楽をこよなく愛し、情熱的な日々を送りました。恋愛においても情熱的で、あなたを愛する異性がひとりもいない時代などはなかったようです。」
おっ、スペインは私が愛した土地だ。しばらく住もうかと思ったほど、くつろげる場所だったのは前世でモテモテの女だった時にいたからか(笑)

「あなたは中世のヨーロッパで、名家に生まれたお嬢様でした。佳人短命という言葉に示されるとおりに、若いうちに突然の発作で命を落としてしまいましたが、その生涯は優雅で気品にあふれたものでした。残念に思われるのは、恋を知らないままに人生の幕を閉じてしまったことです。」
ほー、以前このブログで書いたことがあるが、私は年若くして死んだ「美貌の」女性だった。海と船を眺めるのが大好きなカナダの「美貌の」女性だった。「美貌の」というのは私が勝手に付け加えたのだが、そのように言われたことがある。

「オーラは恋愛のオーラは紫で、仕事のオーラは赤」
おらのオーラは黄色なんだけどね。


ベランダのゴーヤの蔓

ベランダのゴーヤの蔓が、ネットを設けなかったので、物干し竿とかガスのBOXに伸びて、ひどい状態になっているので遅まきながらネットを買ってきて、蔓の引っ越しを今朝、暑くなる前に行った。
他の蔓に絡まっているのやらを解きほぐすのだが、細い蔓の先が何重にも取り巻いているので、しかもしっかりと巻きついているので、これをほぐすのは大変だった。切ってしまえば簡単なんだが可哀想だし・・・ふと、蔓はすごく敏感で手かざしをすると、手に向かって伸びてくるの、なんてことを言っていた女性を思い出した。そこで、引っ越ししようねと優しく声をかけがらほぐしていくと、な、なんと、簡単に外れてくれる。感動ものだった。

昔、西式健康法の指導者に植物の声が聞こえるという人がいた。剪定(せんてい=枝切り)する時、もっと切ってとか、例えばミカンの木が言うというのだが、眉唾ものだ。植物は人間の為に実をつけるのでないから、人間の行為は暴力でしかない。
潜在意識の働きではなく、単に思い込みの激しい人の、自己暗示による錯覚だったのだろう、と切って捨てておく。

木霊(もくれい)というのは存在する。木霊のたたりとか、お盆の時期だから、そのようなテーマを取り上げてもいいのだが、
まぁ今回はやめておこう。

私見西式155

背腹運動を朝夕2回、毎日行うとどうなるか。
不良の神経が良成となり、
不能の肉体が能動となり、
不善の精神が善良となる。
そのプロセスを「良くなる、能くなる、善くなる」と言い表している。

この言葉に更に付け加える何ものも無い。
単なる暗示ではない、と私は理解している。

朝夕わずかの10分間すら実行できず、いったい西式に何を求めるのだろうか。
甲田光雄は約20分間の実行を指導していた。

温冷浴は最初5回の実行から、次第に回数を増やして指導され、最終的に61回の実行が発表された。
背腹運動にはそれがなかったが、朝夕2回の各500回の他に、1日に数万回行うことも実は西は教えていた。

私見西式154

西には伝記がない。何故か?
西は24歳(数え年)で健康を獲得即ち悟りを開いて以降、彼の人生は「順調で」「一度の墜落もなく」、一般の伝記の人物のような、読者を興奮させる波乱万丈のストーリィがなく、「ままになるのが浮世の常」と言うような超天才の伝記など書きようがないからだ、と私は思う。
田中宋太郎の「西勝造傳」は伝記ではないことを、著者も西も認めていたことを付記しておく。

幼少期の貧困も出生の秘密もなく、投獄されたこともなく、栄光からどん底そして奇跡の再起といったドラマもない。
人生を船旅に例えるならば、出航の頃は船酔いで苦しんだが、それを克服し、嵐や暴風雨に遭遇しても難破することもなく、周囲に併走する船も出てきて、やがて一大船団となった・・・それが西の人生だ。
不幸だったのは、彼が現代医学者たちと論争出来なかったことだろう。手を変え品を変え、西式への弾圧は繰り返されたが、正面から西に論争を挑んだ医学者は一人もいなかった。

大本教を引き合いに出せば、教祖も幹部も信者も逮捕・拷問・投獄・・・発狂・自殺、これこそ国家権力による弾圧の好例である。もちろん西にも警察権力によって「精神異常」のゴム印を押されて抹殺される危機があった。しかし不思議と救われている。まるで西が生まれ、人類救済の道を示すことが、予め予定されていたかのような、準備万端な展開を見ることができる。
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