かってこの国が、世界有数の奴隷輸出国だったことについて、太田龍が取り上げていたとは知らなかった。
竹中労、平岡正明、太田龍は60年代左翼イデオローグの3バカと呼ばれたが、「世界革命浪人」を自称していたドラゴン将軍こと太田龍は、マルクス主義→アイヌ解放論→エコロジー思想→反ユダヤ・反米主義と思想・哲学を深化させていき、晩年は爬虫類人の存在まで思想に取り込み、2009年に78歳で死ぬまで玄米を食べながら歴史の真実を探求し続けた異色の思想家だった。
平岡正明は極真空手の世界に入っていき、彼がソノシートに吹き込んだ「俺より他に神はなし」は、私がエジプトのピラミッドの周辺で野宿を図った頃のテーマ・ソングだった。
あれは酷い歌だった。もう忘れてしまったが、うろ覚えで
花はひとりでぇー 散りゃーしぃねえー
花を散らぁーせる 奴がぁーいーる
どうせこの世は 駆け引きでー
正義が勝つとは 限らねえ
どうせ一度の人生ならば
咲いて散らねえ 悪の花
咲かせてみせましょう この腕でぇー
人が泣こうが くたばろがぁー
俺がよければ すべてよし
俺よりぃー他にぃー 神はーなぁしー
ナイル川の畔で、こんな歌を歌って、エジプトの神々の怒りを買ったのかもしれんなぁ・・。
そうだ、俺が貧乏になったのはそれが原因だ、とバカなことを書きつつ、本論に戻る。
「天正少年使節」がヨーロッパで見たのは、膨大な数の日本人奴隷だった。
1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団が書き残している。太田龍の「長州の天皇征伐 日本の<悲劇>はすべてここから始まった」より引用する。
「行く先々で同じ日本人(女性)が、数多く奴隷にされ、鉄の足枷をはめられ、ムチうたれるのは、家畜なみでみるに忍びない」
「われらとおなじ日本人(女性)が、どこへ行ってもたくさん目につく。また子まで首を鎖でつながれ、われわれをみて哀れみをうったえる眼ざしは辛くてならぬ・・・・・肌の白いみめよき日本の娘らが、秘所をまるだしにつながれ、弄ばれているのは、奴隷らの国にまで、日本の女が転売されていくのを、正視できるものではない。われわれのみた範囲で、ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろう。ポルトガル人の教会や師父が、硝石と交換し、証文をつけて、インドやアフリカにまで売っている。いかがなものだろう。」
なぜ日本人が奴隷として海外に売られたのか。
戦国時代に鉄砲が兵器となり、火薬の原料の硝石を海外から輸入する必要があり、その代価だった。
九州における奴隷輸出の記事のある「九州御動座記」の著者大村由己(1536?〜1596年)は、書き遺している。
「バテレン どもは、( 仏教 ) 諸宗を自分達の キリスト教に引き入れ、それのみならず 男女数百の日本人を黒船へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて船底へ追い入れ、地獄の苦しみ以上に、( 中略 ) 子を売り、親を売り、妻女げどう ( 外道 ) を売り候由、つくづく( 秀吉様 ) 聞こしめされ、右の 一宗 ( キリスト教 ) を御許容あらば ( これ以上布教を許したならば )、たちまち日本は外道の法になるべきこと( 以下省略 ) 。」
なぜ秀吉がバテレン追放を決意したか、
秀吉は天下人としての器だったということだ。
このような歴史の真実を知ると、NHKの戦国ドラマなんぞは馬鹿らしくて見る気にもならない。
そして、明治以降は「からゆきさん」が輸出された・・。
竹中労、平岡正明、太田龍は60年代左翼イデオローグの3バカと呼ばれたが、「世界革命浪人」を自称していたドラゴン将軍こと太田龍は、マルクス主義→アイヌ解放論→エコロジー思想→反ユダヤ・反米主義と思想・哲学を深化させていき、晩年は爬虫類人の存在まで思想に取り込み、2009年に78歳で死ぬまで玄米を食べながら歴史の真実を探求し続けた異色の思想家だった。
平岡正明は極真空手の世界に入っていき、彼がソノシートに吹き込んだ「俺より他に神はなし」は、私がエジプトのピラミッドの周辺で野宿を図った頃のテーマ・ソングだった。
あれは酷い歌だった。もう忘れてしまったが、うろ覚えで
花はひとりでぇー 散りゃーしぃねえー
花を散らぁーせる 奴がぁーいーる
どうせこの世は 駆け引きでー
正義が勝つとは 限らねえ
どうせ一度の人生ならば
咲いて散らねえ 悪の花
咲かせてみせましょう この腕でぇー
人が泣こうが くたばろがぁー
俺がよければ すべてよし
俺よりぃー他にぃー 神はーなぁしー
ナイル川の畔で、こんな歌を歌って、エジプトの神々の怒りを買ったのかもしれんなぁ・・。
そうだ、俺が貧乏になったのはそれが原因だ、とバカなことを書きつつ、本論に戻る。
「天正少年使節」がヨーロッパで見たのは、膨大な数の日本人奴隷だった。
1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団が書き残している。太田龍の「長州の天皇征伐 日本の<悲劇>はすべてここから始まった」より引用する。
「行く先々で同じ日本人(女性)が、数多く奴隷にされ、鉄の足枷をはめられ、ムチうたれるのは、家畜なみでみるに忍びない」
「われらとおなじ日本人(女性)が、どこへ行ってもたくさん目につく。また子まで首を鎖でつながれ、われわれをみて哀れみをうったえる眼ざしは辛くてならぬ・・・・・肌の白いみめよき日本の娘らが、秘所をまるだしにつながれ、弄ばれているのは、奴隷らの国にまで、日本の女が転売されていくのを、正視できるものではない。われわれのみた範囲で、ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろう。ポルトガル人の教会や師父が、硝石と交換し、証文をつけて、インドやアフリカにまで売っている。いかがなものだろう。」
なぜ日本人が奴隷として海外に売られたのか。
戦国時代に鉄砲が兵器となり、火薬の原料の硝石を海外から輸入する必要があり、その代価だった。
九州における奴隷輸出の記事のある「九州御動座記」の著者大村由己(1536?〜1596年)は、書き遺している。
「バテレン どもは、( 仏教 ) 諸宗を自分達の キリスト教に引き入れ、それのみならず 男女数百の日本人を黒船へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて船底へ追い入れ、地獄の苦しみ以上に、( 中略 ) 子を売り、親を売り、妻女げどう ( 外道 ) を売り候由、つくづく( 秀吉様 ) 聞こしめされ、右の 一宗 ( キリスト教 ) を御許容あらば ( これ以上布教を許したならば )、たちまち日本は外道の法になるべきこと( 以下省略 ) 。」
なぜ秀吉がバテレン追放を決意したか、
秀吉は天下人としての器だったということだ。
このような歴史の真実を知ると、NHKの戦国ドラマなんぞは馬鹿らしくて見る気にもならない。
そして、明治以降は「からゆきさん」が輸出された・・。