続・大日本仁志會

西勝造 が創始した西式(西学)を紹介する、正統西式のブログです。

2014年01月

自然に生きる・・

七子はナナシとお読みすればよろしいのかな。

>人間は 自然と乖離することで
>自然を理解しようと努めたのでしょうか
>動物や昆虫は自然そのものであるから
>体の仕組みを知る必要も無くまた
>自然のめぐりを科学する必要も無く
>大雨も カラカラ天気も 即対応して
>いや 対応ではなく それそのもの まるごと
>なのでしょうか
>春になったからとて お正月さまを里に
>迎えなくても 春は春 それがなにか
>と いうことなのかなあ
>動物たちには 神様は いらない
>とりたてて 神様といわなくとも
>彼らそのものが 神であり 自然なのかなあ
>今週土曜日 お宮で春神さまを お迎えする
>のです 人間の私はこのように思いました

生も死も考えないで、無心に只今に生きる
「今・ここにいる・私」を無にする

自然界の動物は、その境地に近い世界で生きているのではないでしょうか。
私はユキを観察していて、そのように思います。
生も死も考えないで、無心に只今に生きていますよ、彼女は。

人間には、「今・ここにいる・私」を無にする工夫が必要で、
古来、求道者は深山幽谷に入り、滝に打たれ、断食して、瞑想しました。
自分は無い、無いと思っている自分も無い、そのように思っている自分も無い ∞
だがなかなか悟れない

中を求め、無を得て、空に至る
中を求め、空を得て、無に至る

どちらでもいいです。
中を求めることから始まります。
中を求めないと先へ勧めません。

>大雨も カラカラ天気も 即対応して
>いや 対応ではなく それそのもの まるごと
>なのでしょうか
>春になったからとて お正月さまを里に
>迎えなくても 春は春 それがなにか
>と いうことなのかなあ

人間は先の見通しがつかないから、悩んだり、災害に遭いますが、自然界の動物は山火事や洪水が起こる前に予知して逃げます。これは対応、別段考えるわけではなく自然な対応行動でしょう。

>動物や昆虫は自然そのものであるから
>体の仕組みを知る必要も無くまた

「西式を研究する人へ 3」で書いたように、
・・まだ書いていなかった(^^;

西医学の研究法には六つの段階が有り、その(2)は形而下的なものの研究であり、解剖学、組織学、レントゲン学、薬理学、物理学、化学等の研究で、指導者には必要ですが、治療を受ける側にはそんな知識は不要です。内蔵各器官の機能や、ホルモンがどうの、免疫機能がどうの、遺伝子がどうのこうの、それは知る必要がありません。

「患者に帯または紐などの窮屈な束縛なきよう注意し、手は両側に置かしめ、何事もあえて考えないよう、また身体の何れの部分にも力を入れないように、身体の平常を保たしめ、幾分眠りたいような気分にする。術者は患者の体のなるべく左側に座り、或は立ち、患者との応接には真摯(しんし)、敬虔、清浄の心を持ち、即ち霊肉一体、心身一如の境地において接し、次の順序により治病操作を行うべきものである云々」(十六操作法の説明部分より引用)

「何事もあえて考えないよう」「幾分眠りたいような気分にする」
患者が無の世界に入ることができれば、十六操作法も不要で、良くなるという暗示だけで病気は癒える。
これは私が理解した西式で、「私見西式」です。

>動物たちには 神様は いらない
>とりたてて 神様といわなくとも
>彼らそのものが 神であり 自然なのかなあ

西の考えは、「人が神をつくり、神が人をつくった」、です。
私は犬や猫が手を合わせて祈っている姿を見たことがありません。彼等は神をつくらなかった、だから祈るべき神もいない。

>今週土曜日 お宮で春神さまを お迎えするのです

古来からの行事を大切にすることも、自然と共に生きることだと思います。
自然が豊かで、人々が自然と共に生きていた時代の名ごりですから。

(転載)イギリス流 風邪の症状の和らげ方

参考になる記事を見つけたので転載する。

「イギリスでは、風邪やインフルエンザになっても、病院ではあまり抗生物質は処方してくれません。40度の熱が3日続いてさすがに病院に行っても、何もくれなかったという話もよく聞く話ですし、我が家もあまり薬をもらったことがありません。
数年前に娘がかなりの高熱を出して、その熱と咳が長引いていたので病院に連れて行った時のことです。そこは半緊急時の病院でベテランの看護婦さんが診てくれるのですが、その人が教えてくれた療法がおもしろいものでした。
看護婦さん:
「薬はあげないけど、個人的なアドバイスをあげるわ!
とりあえず水分をたっぷり飲ませて、後は足の裏にヴイックス ヴェポラッブを塗って、すぐに靴下をはかせることね!寝る前がおすすめよ。
うちの子供たちにはいつもこれだけど、ハズレなしでよく効くのよ!」

市販の薬品全般に対する不信感が強くなっていた私は、最初はこのヴイックス・ヴェポラッブのような世界的に有名な製品など使いたくなかったので、ワセリンにペパーミントオイルやユーカリオイル、サンダルウッドなどのエッセンシャルオイルを混ぜたものを使ってみたのですが、よく効きいたようでそれを塗った晩は娘も久しぶりにぐっすりと寝てくれました
(後でヴェポラップの原料を調べてみたところ、だいたい同じような成分でした。

その後、今度は旦那の咳が長引いた時に今度はヴイックス・ヴェポラッブを買って試してみたんですが、それも長引いていた咳が止まってぐっすりと寝てくれました。
夜に咳で眠れない時、いろいろ試しても咳が止まらない時などに試してみる価値はあると思います。鼻づまりもすぐにすっきりします。

私は肺が弱いのですが、肺が炎症を起こしてしんどい時に試してみるとぐっと体が楽になるのがわかります。
ヴェポラッブのラベルには「胸元に塗って下さい」とありますが、足の裏がいいです。どうしてかはわかりませんが、足に塗ってしばらくすると脇からヴェポラッブの匂いがします。

日本にも、葛湯や大根、長ネギなど風邪にいい民間療法はいろいろありますが、風邪をひいてそれを準備することすらしんどい時なんかにもお勧めです。子供でも大人でも、下手な咳止めシロップなんかよりもよっぽど効きます。また最近は新聞でも、この療法が紹介されていたようです。(科学的にはこれが効くメカニズムは証明されていないようですが、いろんな人によく知られた療法で、使った人は強くお勧めしているところを考えると効いているんでしょう。)
市販の風邪の症状を和らげる薬や解熱剤を使うと、痛みなどの症状が楽になるのはいいのですが、体が免疫力を強化しようと発熱しているのにその熱を下げてしまうらしく、できるだけ避けたいところです。
特に子供には、風邪薬(痛み止め)はできるだけ避けるようになりました。」

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真実の追求 ライブノート【LIVE NOTE】
2014.01.21「イギリス流 風邪の症状の和らげ方」より転載
元記事は、「世界の裏側ニュースさんより転載」との由

要は、足の裏には全身の反射区があるのでそれを刺激するということなのかな。
ネットで「足の裏 健康」で検索して、「足の裏湿布法 - nifty」というのを見つけた。
「しかし施療を重ねるうちに、古くから各国共通でも用いられ、現在も使用されている反射区と患者さんの反応に微妙なズレがあることに気がつき、サーモグラフティー、脳波、足圧分布測定装置、モアレトポトグラフィ(体のバランスを見るもの)などを使って調べてみました。さらにその結果に、私自身の臨床経験もふまえて照らし合わせてみると、反射区の区分に、従来のものとは異なる部分があったのです。「日本人には、日本人に合った反射区が存在するのではないかと考え」現代の日本人に合った 長谷式足裏健康法を考案しました。それが下記にある反射区分図です。」

うーん、メモしておこう。
人差し指、中指、薬指の下、指の付け根の下の部分が甲状腺の反射区、続いてその下が肺・気管の反射区らしいので、この部分に塗ればいいのかな。転載ブログ記事では足の裏全体と思われるけど。
ヴイックスはドロップしか知らなかったのだが、体にぬる塗布タイプの鼻づまり改善薬もあったのか。
うーむ!ドラッグストアを探そう♪(買い物メモ)

楽天で調べたら、ヴィックス ヴェポラッブ(50g)【ヴィックス(VICKS)】 税込980円だ。
用法は「次の量を胸・のど・背中に塗布、又は塗布後布で覆ってください」
成分は、(100g中)
dL-カンフル・・・5.26g
テレビン油・・・4.68g
L-メントール・・・2.82g
ユーカリ油・・・1.33g
ニクズク油・・・0.69g
杉葉油・・・0.44g
添加物・・・チモール、ワセリン

以上参考までに。

西式を研究する人へ 2 (過去記事)

(過去記事)
2010年08月28日
私見西式58
西式の基礎理論…西が出版を予定したが果たされなかったもの。

1、真空論(菊版約500頁)
2、重力論(菊版約600頁)
3、波動論(菊版約500頁)
4、毛細現象論(菊版約600頁)
5、流体論(菊版約300頁)
6、ジャイロスコープ論(菊版約200〜300頁)
7、気球論(菊版約200〜300頁)
8、気論(ガス・セオリー、O2,CO2,CO)(菊版約500頁)
9、新血液圧循環論(菊版約360頁) 
10、新発生論(菊版約200〜250頁)
11、新栄養論(菊版約300頁)
12、新産児論(菊版約200頁)
13、医学新論(菊版約200頁)
14、新生活論(菊版約350頁)
15、複雑より単純へ(菊版約200頁)
16、体貌観測論
17、眼診断論
18、足学
19、汗学
20、体液論
21、生体に於ける蓚酸の意義
22、生体に於けるアンモニアの意義
23、生体に於けるビタミン及びホルモンの意義
24、古医学

菊版とは昭和15年以前に使われていた本のサイズで152mm×218mm。現在のA5が148mm×210mmである。

参考文献の一部は次の通りである。

3、J.T.J.Seei [Wave theory giscovery of the couse of Gravitation ]1938〜1939 Vol.1.2.3
6、Arabela kenealy(アラベラ・ケネアリー)の著書
7、ドイツのコックスの著書
12、2〜300年前(当時)の「安産の栞」
15、Dion Bymgham 「Creative Simplirity」1937 ジオン・ビングハム「創造的単純性」
16、Peter Johannes Thiel「Die Augendiagnose,Leipzig」1935
18、Lake 「The Foot」1936。Hohmaun「Fuso und Bein」1937

なお、他に「量子力学から波動力学」というのを、「渡米の際船の中で往復書き上げました」(「西式」第2巻第3号)という。

西は「1〜8を総括して9 が登上し、1〜9の結論として10 が生まれてくる」と述べている。

この一年、目指すことは

ブログの更新が進まないかもしれない
結婚が・・・
いやパソコンだ、
言葉が似ているから間違った。

パソコンが調子が悪い。
ハードディスクが長くは持たない様子で、データはUSBメモリーに移し終えたが、
電源を入れるたびに立ち上がるかどうか不安になる(・_・;)。

結婚がらみの話だが
願望引き寄せ術というのがある。
未来をリアルに想像する
結婚式を挙げている場面とかを、会場や料理や招待客や全てを実際の場面のように想像すると、想像は創造で、そのような未来を引き寄せるのだと。

ある女性は寝る前に結婚のことをいっぱい考えて眠った。
朝起きると、枕元に血のあとがいっぱいある
血痕(けっこん)がいっぱいだった。

あのー ギャグですぅ・・・m(._.)m
結婚(けっこん)と血痕(けっこん)の・・
昔、この話をして怒られたことがある
「貴方は知識が豊富で私たちが知らないことをいっぱい知っている。聞く価値があると思うから真剣に聞いているのに、冗談を混ぜるのはやめなさいヽ(`Д´)ノ」

その後もガミガミ言われてうなだれたが、
明石家さんまなら「持ち味やぁー」と押し返したんだろうなぁ。
「鼻血かと思った」
男は欲望が溜まって鼻血ブーとかあるらしいけど、女性もそうなの?と聞きたかったけど、怒ってるから怖くて聞けなかった
(´;ω;`)。

今年は超楽しく、超面白く生きるのだ。
いや超超楽しく、超超面白く生きるのだ。
超楽しく、超面白くではダメだ
超々、超×2、超2 

蝶々のように花から花へと飛び回り・・・あれっ
デルファイを目指して風まかせの旅をしたい
風よ、私をデルファイに運ぶのだ
波よ、私をデルファイに運ぶのだ
かって私が神託の巫女だった土地へ
(妄想ですm(._.)m)

あっ、ユキをどうしよう(´д`)
金魚も・・・

壇蜜はナマズを飼っているらしい

故人だが、ノーマン・カズンスはカリフォルニア大学医学校(ロサンゼルス分校)の教授をしていた時に体調が不良となり、膠原病と診断された。
彼は現代の医学で治せないのなら自分で自分を治す以外に方法はない、と決意し、膠原病を徹底的に調べ、自己流の治療を試みた。
『ビタミンCを大量にとること、副腎の機能を低下させるストレスを克服し、逆に副腎のはたらきをよくするため、プラスの感情や心理状態にもっていくような努力をした。暗い病気のイメージばかりがまわりにただよいがちな病院を出て、明るい雰囲気のあるホテルの一室にこもり、朝から晩までテレビコメディを見たり、コミック誌を読んで大いに笑いまくることにした。
この方法を徹底的に実行することにより、彼はついに不治の病を自力で完治させてしまった。彼は難病克服の体験から、「心のもち方」がいかに治癒力に影響を与えるかを実感し、研究を深めていく。彼の体験は論文としてまとめられ、「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンという権威ある医学雑誌に発表されると、たちまし全米三十四の医学校で学生の必読文献に指定されるほどの反響をよんだ。そして、それは「Anatomy of an Illness」(直訳すると「病気の解剖学」、邦訳は「五00分の一の奇跡」講談社刊)として出版され、大ベストセラーとなった。この本に多大な影響を受けた医者、患者は、アメリカのみならず日本にも多い。』(「人のからだは、なぜ治る?」(大塚晃志郎 ダイヤモンド社 1993年)

西式は心身一如であり、「皮・食・肢・心」のどれが欠けてもいけない。
明るい気持ちで、超超明るい気持ちで、
この一年を過ごすことを目指そう。

過去記事 「只今に生きる」

近事雑事156 2012年11月2日の記事より

「只今(ただいま)に生きる」

人は不滅の魂を身の内に宿す
魂は神の分魂(わけみたま)
生まれ死ぬことを繰り返して
魂は旅をする

何のために?
知る人はいない

それは宇宙の神秘

濫(みだ)りに説くのは
パリサイ人(偽善者)
人を迷路に誘う
そんな教えに惑わされることなく
そんな教えから離れ

只今(ただいま)に生きる
今・ここに・いる私

目の前目の前その事に 
只今に集中していく
只今只今に集中していく自分が
今・ここに・いる私

この私を 無 にする
只今に集中し没頭すれば
自分を忘れる
無になる
そこには悩みも病気も存在しない

体に故障があれば
絶えずそれを意識し無になれない
胃も肺も心臓も 故障が無ければ
その存在を意識しない

全身を意識しない状態が健康
全身を無にするためには
中(ちゅう)を求める

交感神経と副交感神経の拮抗
酸とアルカリの中和
左右の筋肉・神経の平等
水浴と温浴の交互浴
・・・etc

中(ちゅう)を求め
無(む)を得て
空(くう)に至る

これが西式

新年(西暦の)を迎えて思う

去年と同じ場所には、私はいない。
だから、「初心忘るべからず」が今年もテーマ

踊りでも絵でも音楽でも、
芸術家の作品は年代とともに変わる
今の自分を表現するからだ
「只今に生きる」とはそういうことだ

1が2となり3となり・・・7、8、9
9から10になった時、世界が変わる。
理解力や表現力がより深く、より繊細に、より幅広く
格段に進歩し、昨日の自分はいなくなる。

臨済宗の中興の祖・白隠は「法華経」を読んで
薬の効能書きのようだと思った、つまらんと。
修行が進んだある日、
なんと素晴らしいお経だと
意味が咀嚼でき、理解でき、感動する自分がいた。

初心とは習い始めの時を言うのではない。

10がまた初心となり、11、12、・・・18、、19
19から20になった時、また世界が変わる。

新しい世界で新しい自分となり、
新しい自分を、新しい世界観を表現できるから
修行を一生続けることができる。

だが、初心を忘れたならば
今日の自分を見失い
20が19に、10に、落ちても分からない。

10の初心、20の初心・・・
一生続き、死してなお続き、生まれ変わってまた続く

世阿弥の「風姿花伝」を私はこのように理解した。
この書は修行の奥義を語っている。

今ここにいる自分には、過去があり、未来がある。
「只今に生きている」から
絶えず新しい過去と未来をつくっている。

「只今に生きていない」人には、過去も未来も現在と変わらない。だから過去も未来も無いと言って、
そして、過去は変えられない、未来はわからない、
だから只今に生きるなど、頭で考えた教えを説き人を惑わす。

道に迷ったら、また行き詰ったら
来た道を戻り、確かな出発点から再び前へ進む
初心に戻るとは過去の自分に立ち帰ることだ

能楽、観世流の創始者が観阿弥で、息子の世阿弥は能を芸術の域に昇華させた。「高砂」「忠度」「実盛」「井筒」「江口」「檜垣」「砧(きぬた)」「老松」「頼政」「恋重荷」「野守(のもり)」「西行桜」などの優れた作品を作り、「風姿花伝」などの多くの能楽論の著書も遺した。世界遺産(無形文化遺産)の能を日本人が楽しまないのは、ここが変だよ日本人!
なお世阿弥は室町時代の1363年?頃の生まれで、1443年に没しているから80歳ぐらいだ。

西は、世阿弥(ぜあみ)の「昨日のわれに飽きたり」という言葉が好きだった。
私はこの言葉を座右の銘にしている。

ありのままに生きたい、
ありのままに生きている君が好き、
自分を変える必要なんてない、あんたはあんたなんだ、

草の葉っぱを食べていた青虫から変身し
お花畑を舞うように飛び回り、蜜を吸う蝶を見て
蟻(あり)は「ありっ?」と首をかしげた

ずーつと地中で寝ていたセミの幼虫も
地上に出て空を飛び、木の汁を吸っている
蟻(あり)は「ありっ?」と自分の人生と比べてみた

ありのままに生きた蟻(あり)は死ぬまで蟻のままだった。

自分を変えることに夢中で他のことがおろそかになっている人には
ブレーキをかけさせ
自分を変える必要なんてないと努力不足の日々を送っている人には
アクセルを踏ませる

それが愛とまごころのある人のアドバイスではないですか
自分を変える必要なんかないと
口先だけで人の心をつかむような説教者を
私は信用しない

片寄らない
「真理は両極の中道にあり」
これが釈迦の教え

Ps.
「NHK」なんぞは見ないから、知らなかった
「紅白」に壇蜜が出たなんて
日本舞踊を披露したなんて・・・

昔、平岡正明が「山口百恵は菩薩である」という本を書いたが、
私は「壇蜜は観音である」を書きたい。
中身は観音論で壇蜜は多分出てこないけどw.

昔、西式の表題の本で中身はアカ(社会主義思想)の本、というのが秘かに出ていた。警官に職務質問され持ち物を検査され社会主義の本なら連行されるが、
表紙だけ見て
「これは西式の本か、あれはいいなぁ」
と展開し逃れられる作戦

これには西も
「西式も功徳を施すものだ」と苦笑い。





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