続・大日本仁志會

西勝造 が創始した西式(西学)を紹介する、正統西式のブログです。

2020年09月

南京事件、従軍慰安婦の問題は日本国の国会ではどう話されたか

この問題は、日本国の国会ではどのように話されたか?
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我が人生の回想録 1・・大東亜戦争

琴音の「防人の詩」←クリック を聞きながら
過ぎ去った人生の日々を回想していた。
微塵の後悔もなく、何もかもが、ただ懐かしい。

古稀の祝いに紫の薔薇の花束をもらったのは何年前だろう。
紫のバラの花言葉は「気品・誇り・尊敬」
私の好きな花は他にあるが、
棘を持ち無遠慮に手を出すものを許さず痛めつける誇り高き薔薇の魅力も捨てがたい。
古稀という言葉は唐の詩人・杜甫(とほ)が詠んだ漢詩『曲江(きょっこう)』の一節に由来する。
「酒債は尋常行く処に有り  人生七十古来稀なり」。
意味は「酒代のツケはどこに行ってもあるが、古来より70歳まで生きる人はめったにいない」。
日本では室町時代に古稀を祝う風習が定着した・・幽かな記憶しかないが、関東の静謐を願って戦ったあの頃が懐かしい。

私の故郷の神戸は大東亜戦争末期、米軍のB29爆撃機編隊により昭和20年1月3日から終戦までの間に、128回の空襲を受けた。国際法に違反する非戦闘員である民間人の皆殺し作戦であった。
青壮年の男性は当然のこと戦地にいる。残虐行為の対象は女性や年寄り、子供たちであった。
「中でも3月17日の空襲では約34,000発の焼夷弾が投下され、神戸市西部の約65,000棟が全半焼、
2,598人が犠牲になった。また6月5日の空襲で計3,000トンの焼夷弾が投下され、神戸市域の死者は3,453人とされる。被害状況に関する公式記録は存在せず具体的な数字は滑胃だが、神戸周辺都市部の21%が罹災、延べ65万人が家屋に被害を受け、焼失家屋は15万戸、負傷者15万人、8,841名の市民が犠牲となった。 人口及び面積から換算した被害率では、当時の五大都市の中で最悪の数字であった。」
(引用:「神戸大空襲」←クリック

私の生まれ育った場所は東灘区で、本庄空襲犠牲者慰霊碑の碑文には「昭和二十年五月十一日、六月五日、八月六日の大空襲で郷土防衛の村民四三六名の生命を奪われました」と書かれている。

アジアとアフリカは西洋白人諸国の植民地で、人々は白人と対等の人間としては見なされず奴隷として扱われ、すべてを搾取されていた。白人にとって有色人種は下等な生き物で支配の対象物だった。
彼らの国では黒人がそのように扱われていた。日本人は猿であり、映画「猿の惑星」は日本軍の捕虜になった白人の体験からシナリオが書かれたというエピソードは有名である。

しかし、東アジアの一角に突如出現した有色人種の国・大日本帝国は高い知性と優れた文化を持っており、瞬く間に西洋式の近代化を果たし、大東亜共栄圏建設の旗を掲げて、敢然と西洋白人の支配に歯向かった。
薩摩・長州が卑劣な策をめぐらし暴力でこの国を乗っ取らなければ、大日本帝国は多くの有能な人材を抱え、更にはるかに強大な国となったであろう。

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」(インドネシア、モハメッド・ナチール 元首相)

「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」(アラムシャ 元第三副首相)

「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」(ハビプル・ラーマン 元インド国民軍大佐)

「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。」 「もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。」(ミャンマー、バー・モウ 元首相、「ビルマの夜明け」)

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30代の前半だった。
私は世界の各地を旅していた。
スペインで出会った男は私を変えた。
初めての土地なのに、どこか懐かしく、くつろいで数日を過ごしていた。
何の目的もなく知らない街を一人で歩くのが好きで、その場所が何処だったか覚えていない。

海老をオリーブ油で炒める匂いに誘われ、一軒の店に入った。
かの地の居酒屋のスタイルで、ドアは開けっ放しで店内には椅子が無い。
カウンターでビールと海老のオリーブ油炒めを注文した。
店の片隅から鋭い視線が槍のように飛んできた。
さりげなくそちらを見る。
ひげずらの男がにらみつけるように私を見ている。
目を合わさず顔を戻し、長居をしないほうが良さそうだと判断しながら、
ビールをぐい飲みした。歩き回ってのどが渇いていた。
うまい!一瞬、気が緩んだ。
次の瞬間、その男が移動してきて私の横に立っているのに気づいて、心臓をわしづかみ
にされたかのような驚きと恐怖に包まれた。
海外では何度か危険な目に合っている、銃を向けられたこともある。
だが、全くその男の動きに気付かなかったこの時のようなことは、一度もない。
何かの格闘技のプロなのか?
そして、彼は明らかな敵意を目に表していた。

英語で話しかけてきた。
「韓国人か?」
「違う」

無言で私の目を見つめたまま男は再び口を開いた。
「中国人か?」
「違う」

無言でこちらの心の中を探るように見つめる。

私はスペイン語で
「日本人だ」と静かに答えた。

一瞬、彼の表情が緩んだように見えた。
「日本人ならいい」

多分、いやきっと、韓国人や中国人なら店から叩き出されただろう、そんな雰囲気の場面だった。
この後に男と交わした会話は今でもはっきりと脳裏に刻まれている。
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